要町のアトリエから雑司が谷のアトリエへ、4月5日に引っ越してきた。車・往来座号に積んだ荷物を、瀬戸さん、王子、寝床やさんが運んでくれた。雑司が谷1丁目の、昭和43年築の風呂なしアパートが、これからわたしのアトリエになる。
要町にあったアトリエは、廃校になった小学校の理科室にあった。ほかの空き教室は、演劇の練習、ドラマや映画の撮影、サークル、NPO事務所などに使われていて、廃校になったとはいえ、小学校は常に、たくさんの人たちの音と気配で溢れていた。廊下から、ほかの教室から、聞こえてくる音は気にならなかった。むしろその活気を、アトリエの中でひとり絵を描くわたしは、いつも楽しんでいた。
新しいアトリエを探すとき、音のことは気にしなかった。小学校のアトリエも音で溢れていたのだから、線路脇でも工場の横でも、平気に違いない。そこで寝起きをするわけではないのだから、家賃が安く、雰囲気がよければ、うるさい場所でもかまわない、そう思っていた。
家賃と雰囲気で決めたアパートは、偶然静かな場所にあった。昼も夜も、篭っていて聞こえるのは、野良猫の鳴き声と、同じアパートの住人の、生活の音だけ。
隣人との部屋の間には、床から天井までの、2間分の大きな押入れがある。押入れに荷物を入れ、ぴたりと戸を閉じても、どこかの部屋のテレビの音が、便所の水を流す音が、話し声が、漏れ聞こえてくる。話しの内容もわかるくらい、天井のどこかに、壁のどこかに、穴が開いているみたいに。
要町のアトリエで聞いていた音は、わたしが気にならないと思っていた音は、思えば家の外の、ヨソユキの音だった。アパートという生活の場で聞こえる音は、また別の音なのだ。生活の場にアトリエを構えてしまったわたしは、ここでどうやって絵を描いていいのか、時間を過ごしていいのか、まだよくわからない。隣人たちの生活の音に馴染むころ、わたしの体も、このアパートで絵を描くことに慣れるのだろうか。