断片日記

断片と告知

ノミヤマだからさ

物心ついたころから、自分の出来ないことが出来る人たちを、羨んでばかりいる。一番はじめは幼稚園のとき。お姫様の絵を描くのが上手だったU子ちゃん。それから順に思い出してみると、女の顔ばかり頭に浮かぶ。女ばかりの学校に通っていた時間が長かったからか、同じ性には容赦がないからか、わからない。もしかしたら、女は女にしか、男は男にしか、心の底から羨むことなどないのかもしれない。
野見山暁治のエッセイ集「四百字のデッサン」の前半部分には、野見山暁治が出会ってきた、画家や作家、詩人たち、それも男ばかり、が紹介されている。版画家・駒井哲郎も、そのひとり。同い年の野見山暁治と駒井哲郎が出会ったのは、絵の予備校に通っていたころ。
「中学の卒業試験をおえて、九州の炭鉱町からまる一日、汽車に揺られて上京してきた私は、同舟舎という今の予備校みたいな、と言っても薄汚い一部屋だけの塾のなかで、慶応の帽子をかむった駒井を見た。日本橋の生まれだという事だった。一緒に美術学校の油絵科に入ったが、それから卒業するまで、私は、駒井を見た、としか言いようがない。無口なこの都会人に、ずっと私はいじけっ放しだ。ポウル・クレーの幻想に似た駒井の銅版画がその雑誌の頁のなかにいくつも組みこまれていて、口惜しくもそれは田舎者の私には描けない世界だった。」
美術学校を卒業し、戦争が終わったあとも、田舎で半病人みたいに甘えて暮らしていた野見山が、ある日友人のところで、東京から届いた絵の雑誌を見る。何年ぶりかでこの手の雑誌を見た野見山は「この世の夜明けのような」感動を覚えるのだが、「こともあろうに、その夜明けの颯爽たる新人」として紹介されていたのが、同級生の駒井哲郎だった。
野見山が東京に移り住んで二、三年たったある日、ふたりは再会する。北海道から上京してきた同級生と、駒井のところへ酔って押しかけ、三軒茶屋で酒を飲む。生まれてはじめて口をきいたふたりは、美術学校時代、会話もないまま、お互いがお互いを認め合っていたことをはじめて知る。「一年生の風景コンクールで私の油絵をはじめて見てから」、駒井哲郎は野見山暁治の「仕事を見守り続けてきた」。
ふたりは五十歳を過ぎた。酔った駒井が野見山に絡む。
「ダレ?駒井は私の顔をたしかめると抱きつく。お前の絵、だれよりもいいぞ。本当にそう思うか、ほかの奴の絵をよく見たのか。見なくたって解っている、お前のが一番いいよ。どうして?ノミヤマだからさ。私は急に泣きたくなる。」
読むたびに、読んでいるこちらが泣きたくなる。そもそも、羨ましくならないものなど、好きにもなれないし認められないのだ。人を羨むことは、悪いことばかりじゃない。幼稚園には、頭のいい子も、運動の得意な子も、姿形のかわいらしい子もいたはずなのに、どうしてわたしはU子ちゃんを選んだのか。U子ちゃんを羨むことで、わたしはわたしの欲しいものを知ったのだ。大人なったいまも、人を羨む気持ちは消えたりはしない。そのつど現れる、自分に描けない絵を描く人たちを、羨みながら認めながら、ただ、できれば、わたしが認める誰かもわたしの絵を羨んでくれるよう。野見山暁治と駒井哲郎のように。