断片日記

断片と告知

隣りの引越し

ある日、アトリエの戸が叩かれ、出ると隣りの青年だった。彼が所属している劇団のチラシと、田舎から送られてきたというじゃが芋とパッションフルーツを手に、ぽつんと立っていた。引越しの挨拶で見たときから、きれいな顔形をしている、と思っていたが、役者だったのかと納得した。パッションフルーツの食べかたがわからない、と聞くと、半分に切ってスプーンでほじくって食べる、と教えてくれた。チラシをもらい、じゃが芋とパッションフルーツをもらい、じゃが芋とパッションフルーツだけ食べ、そしてわたしはチラシの公演を観に行かなかった。
よく彼女が来ていた。たまに友人が来ていた。青年の部屋とわたしのアトリエの間には、どちらの押入れもあるはずなのに、音はよく聞こえた。集中すれば、何を話しているのかさえ。はじめとまどった話し声も、笑い声も、じきに慣れた。住人共通の廊下兼軒先に置かれた下駄箱に、よく彼女は腰掛け、部屋にいる青年と窓越しに話していた。友人も下駄箱に腰掛け、青年とふたり、よく煙草を吸っていた。廊下兼軒先での会話は、押し入れ越しよりもさらによく聞こえたが、嫌ではなかった。このただの廊下兼軒先と下駄箱を、自由に使っている姿が、見ていて楽しかった。
廊下兼軒先は、2階の南向きで、日当たりが良かった。前の家が平屋のお陰で、家が密集するこの辺りにしては、空が広かった。アトリエをここに決めた理由のひとつも、2階にあがった途端の、空の広さを見たからだ。よく日の当たる廊下兼軒先は、洗濯干し場でもあり、隣りの青年は、毎日必ず洗濯ものを干していた。男にしてはマメなことだと感心していたが、昨日の、一昨日の、洗濯ものが、干しっ放しだったのかもしれない。干された洗濯ものは毎日見たが、干している姿は見たことがない。いつも、いつの間にか、洗濯ものは軒先にあるのだ。
昨日、青年がこのアパートから引越していった。数日前、うちのポストに、このアパートを管理する不動産屋からの封書が、間違って入っていた。退室、の文字を見て、あぁそうか、と隣りのポストに投げ込んだ。廊下兼軒先から青年の洗濯機が消えた。下駄箱の上に置きっぱなしの、煙草、灰皿、安全剃刀、何かの充電用のコード、が消えた。派手な洗濯ものももう干されない。2階にあがって目に入る、下駄箱の彼女、置きっ放しの煙草と灰皿、干されっ放しの洗濯もの、が好きだった。いなくなった青年よりも、彼を彩るものたちが好きだったのかと、さっぱりと何もなくなった廊下兼軒先を見て気づいた。