断片日記

断片と告知

役立たず

口の奥、喉だかあごだかが痛みだし、話すことも噛むこともままならなくなり医者に行った。内科医にわからんと言われ、紹介された歯科医に行くと、あっさり潰瘍だと知れた。上の親知らずが大きくなりすぎて下の歯ぐきを傷つけてます。それが潰瘍になってます。削るか抜くかだけど、削っても数年たてばまた伸びてくる。それにこの歯はなんの役にも立ってない。
その日は勘弁してもらい、抜くと約束した日までの数日間、気がつくと歯医者に役立たずと言われた歯を舌先で舐めていた。あと数日で抜かれるというのにどうしてこんなに静かにいるのか。爪も髪も黙って切られていくのはなぜなのか。わたしに断りもいれずに伸びていくからには、わたしと違う意思があるだろう。なんとか言えばいいものを、役立たずは黙ったきりだ。
メキ、メキ、スポッ。約束の日、役立たずはあっさり抜けた。抜くよりも二本打った麻酔の注射のほうが痛いくらいだ。薬を塗られ血止めのガーゼを噛まされた。抜いた歯を見せてもらうと、虫歯もなくまっすぐ大きく、とても役立たずになんて見えやしない。ガーゼを噛んだ口でもごもご聞いた。どうひてほれがひゃくたたずなんれすか?
下の歯がないから。親知らずだけじゃなくどの歯もそう。噛み合わせる歯がなければ歯は役に立たない。
下の親知らずは曲がって生えてとうの昔に抜いていた。片方がまともだったら、もう片方も役立たずにならずにすんだ。うまくいかなかったお笑いのコンビみたい。年末のテレビを見ながら歯ぐきに空いた役立たずの穴を舌先でちろちろほじくる。
そういえば頭に穴の空く話があったっけ。そうだ落語の「頭山」だ。ケチな男がさくらんぼの種まで食べて頭に桜の木が育ち、近所の人たちが頭の上で花見をするのが鬱陶しいと桜の木を引っこ抜き、引っこ抜いた穴に水がたまりそこで水遊びをする人たちがうるさいと、結局その穴に自分が飛び込んで死ぬおかしな話だ。
役立たずは桜の木。最後くらいは役立たずの穴に乾杯だ。穴から酒が直にいくのか今日はやけに酔いがはやい。いまならこの穴に飛び込んで、死ぬことさえできる気がする。