断片日記

断片と告知

幽霊 入谷コピー文庫

堀内恭さんが編集発行する入谷コピー文庫『今でも忘れられないシーンのあるがちゃまる映画たち』が届く。堀内さんはいつもどなたからか感想が届くと、そのコピーを冊子に挟んで送ってくれる。届いた『がちゃまる映画たち』には、前号、大滝秀治人間劇場シリーズ『女と男』にわたしが寄せた「幽霊」への、Fさんからの感想コピーが挟まれていた。男の人はあまり自分の話を書きませんね。そうかもしれませんね。

 

 

「幽霊」

男の家は、西武池袋線ひばりヶ丘と東久留米のあいだくらいで、どちらの駅からも同じくらい遠い。歩くと30分くらい、坂道が多いから自転車でも10分15分はかかる。男の家に行くときは、東久留米駅前の、小さなロータリーに面したチェーンの本屋で待ち合わせる。ふたりとも職場が本屋で、休日までよその本屋にいることもないが、この町の駅前にはほかに行くところもない。

たいてい女のほうが先に着き、本屋の入り口を気にかけつつ、立ち読みしながらゆっくり一周したころ、男は慌てもせずにやってくる。入り口から一瞥すれば、女がいるかいないかくらい、すぐわかるような大きさの店だ。それなのに、あっちの棚をゆらーと、こっちの棚をゆらーと、雑誌を手に立ち読みをはじめ、女の顔を見ようともしない。痺れを切らしてそばに行くと、遅れた詫びなど一言もなく、手にした雑誌や本を女に向けて、なにか一言二言笑ってみせる。

本屋の横のコンビニで缶ビールを買い、男が乗ってきた自転車の後ろに股がり、飲みながら、男が漕ぐ自転車に揺られる。駅前からちょっと行けば、小さな川と小さな林と畑も残る町並みは、女が住むビルの多い街と違い、空が広くて気持ちがいい。冷えた缶ビールがよく似合う、なんてすてきな東久留米、女を見ないふりをする男をのぞけば。

いつか女は本屋を辞めた。本屋のある駅の反対側の街にアトリエを借り、絵を描いて暮らしをたてはじめたころ、男は変わらず本屋で働いていた。仕事終わったよ。男からの電話はいつでも急だ。あわてて絵の道具を片付け、着替えて飛び出しても、待ち合わせの駅前のコンビニまで20分はかかる。今度は女が男を待たせる番だ。

待たせるのは平気なくせに、待たされた男はいつもどこか機嫌が悪い。待ちたくないのなら早めに電話をすればいいだけなのに、なんど繰り返しても、男はそうすることをしない。待ち合わせたコンビニで缶ビールを買い、いつものラーメン屋のカウンターを目指し飲みながら歩く。今日一日どんな絵を描いたかを話し、男にどんなことがあったかを聞く。女は男の顔色をうかがいながら、男はまっすぐ前を見ながら。

週末には男を待ち、平日には男を待たせたが、近寄るのはいつでも女のほうだった。女と男が付き合いはじめたころは、そんな男の気のひき方も、むしろ内気に、かわいらしくさえ見えていたが、どれだけの週末と平日を繰り返しても、男は女を見ようとしない。待ち合わせのたび、見えないふりをされ続けた、女の体がすけていく。

週末の東久留米で、畑の横の無人販売所で買った野菜を、男は家で料理する。ブロッコリーを大き目の房に切り分け、きつめに塩を入れた熱湯で茹でる。鍋のなかで転がるブッロコリーに鼻を寄せ、匂いで茹で加減をみる。匂いが変わった瞬間を見逃さず、すばやくザルにあけお湯を切る。男が茹でたブロッコリーは、固すぎず、柔らかすぎず、ほどよく塩が効いて見事だ。冷えたビールを飲みながら、マヨネーズをなでつけたブロッコリーにかぶりつく。ブロッコリーを茹でるときのようにまっすぐに、どうして女を見てくれないのか。

いつものラーメン屋のカウンターだった。君がぼくのことを本当に好きかどうかわからないんだ。追われる男で居続けるために、散々女を見ないふりして、それでもまだ、どれだけ薄いことばで試してくるのか。カウンターの向こうに置かれたテレビをまっすぐ見つめ、まるきりすけた女が黙ってラーメンをすする。それきり、女は男を見るのをやめた。

思い出すとよみがえる、あのころの女があまりに哀れだ。女は一日の終わりにすっかりぬるくなった風呂に体を沈める。湯のなかで、右手の指で股ぐらの陰毛をつかんで抜いて、湯の外で、抜けた陰毛を左手に集める。毎日、毎日、成仏するまで、あのころ幽霊にされた女に、いまのわたしが陰毛の花束をそえる。