新編伊藤茂次詩集『静かな場所の留守番』が出来上がりました。本書は、2009年龜鳴屋より刊行された伊藤茂次詩集『ないしょ』普及版から50編を選び再構成されたものです。『ないしょ』の編集は外村彰さん、今回の『静かな場所の留守番』は尾道で弐拾dB(にじゅうでしべる)という古本屋を営まれる藤井基二さんです。わたしは、装画、扉絵、検印紙の版画を担当しています。龜鳴屋の「置去り詩人文庫」シリーズの4作目です。
本書のあとがきによると、伊藤茂次は大正14年生まれで平成元年まで生きました。松竹の大部屋俳優になり映画にも出ています。「伊藤ちゃんはしようのない人でした。」と語られる伊藤茂次のいろいろは、藤井さんと外村さんのあとがきをぜひお読みください。
「どの詩もしみったれていて、思わず乾いた声で笑ってしまいそうになる。『かいしょなし』な詩人が書く詩は切実で、僕は一瞬で虜になった。」と藤井さん。
ほとんどの人が伊藤茂次の詩を知らないと思いますので、詩集の中からわたしが好きな詩を三編紹介いたします。
*****
「出来ない詩」
一字書いては
とまどって
又考えて
煙草に火をつけて
夜はさっさと
窓を囲ってしまって
灯の下で
又同じくりかえし
小便はさそい出すので
立たなければならないが
腹の虫は時々のどから手を出すように出しっぱなしの膳の方をのぞくのだが
一字書いて又とまどっているので飯どころではないのだ
ああ出来ないと坐り直してあたりを見たら
よくも散らかしたものだ
本やら雑誌やら紙くずかご一袋百円のみかん煙草溢れている灰皿かばん消えたストーブ手鏡新聞丹前ねまき書きちらした原稿、さて又、死んだ女房の写真まで、タンスの上から下りて来ている
とりまいている
とりまいている
僕を
まるで家族になったみたいだ
僕とまるで話しでもするみたいだ
何だか嬉しくなった
その後でへなへなと力が尽きて横になった
*****
「儀礼」
むかし女房が
年越しだとか正月だとかを
世間並みにつくりあげて
がんじつのお膳を僕に
おめでとうなんて
むきなおっていったので
おめでとうになっていたのだが
女房が死んで
一人になって
部屋の戸をしめて
世間の正月なんて面白くないのでふとんにくるまっていたのだが
いやでも夜が明けてしまったりして
年賀状が届いたりして
ぞうにも祝っていないのに
近所の人と顔を合しては
僕もいつのまにか
おめでとうになってしまったりしているのだ
*****
「夕景」
女房がまだ元気だつたとき
お前なんか早く死んでしまえと云つたら
わたしが死んでも若い女が来やしないよ
あんたなんかにと云つた
女房がだんだん駄目になつて
わたしが死んだらわたしよりずつと若い健康な奥さんを貰いなさいよと云われて
僕は声をあげて泣いた
女房が死んで、ちやんとして待つた
若い女が来てくれるのを待つた
毎日の次が毎日に加算され、勤めに行つては
帰つて来て寝て起きて待つた 雨が降つてももらないし風が吹いても飛ばないし待つた 魚を猫に取られ 焼魚はこげ真黒になって待つた 待つことはこうであろうかと考えて待つた
世間の人が不思議そうな顔で僕を見はじめた
僕は僕が不思議なのか不思議なのであるもう四年も待つているのである
非常に形のいい女に出会つたりすると
そのひとのことを部屋にもつて帰へるのである
着物が落ちて鮮明なナガジバンが立ちはだかつたり、ヨオフクの下がすぐ裸であつたり考えてドキツとした
眼ざまし時計は女がとめた
とつても清潔な
朝日の輝きの中で
眼ざめた
女の僕をおもつての立ちふるまいに夢ではないかと思つた
じやがいもの味噌汁が好きで二杯目のお替をした
女の腕の生毛が白く光つたりしていた
それから
昔、僕と関係のあつた女の思い出をそつと連れてくるのである
南の国の漁師町の石ころがある草の生えている倉庫の裏で女をあおむけに寝かした
女の肌は柔らかであつた
女は僕の笑顔が好きだといつたので得意になつてゲラゲラと笑つた 映画が変わる度に半額券を女に渡した 女はおいしいおいしいアヒルの卵の茶碗むしを御馳走してくれた。
女はいつまでも二十二才であり僕はもう四十四才である。
僕は現実に女に逢うことになりお茶を飲み一生懸命喋りあなたを好きだといつて手を握つたらすぐ女は怒つてさつさと帰へつて行つてしまつた じやがいものみそ汁とまるぼしとたくわんと温かいごはんと、夕景にまじりながら晩の献立を考えて歩いた。
*****
「ないしょ」もとても好きな詩ですが、こちらは本書をお読みください。扉のマッチ棒三本の絵は、「ないしょ」を思いながら作りました。