武田豊詩選集『忘れたステッキ』(龜鳴屋刊)が出来上がりました。武田豊と同じ滋賀県長浜生まれの澤村潤一郎さんが編集し、巻末の解説「おっちゃんの忘れ形見」を書いています。わたしは装画、扉、検印紙の絵を担当しました。置去り詩人文庫シリーズの5冊目になります。
澤村さんの解説によると、武田豊は1909(明治42)年、滋賀県長浜生まれ。幼いころに目を患い、黒板の字が読めなくなるほど視力が低下しますが、目医者通いと母の神仏祈願のおかげか2年後に少しだけ見えるように。一つ年上の友を通じて文学と出会い、暇さえあれば詩集を読み、いつしか自分でも詩を書くように。いくつかの詩集や詩の雑誌を作りましたが、『たぎる花』『旗旗旗無数の』は池袋にあった第一芸術社から出版された詩集です。雑司ヶ谷にあったボン書店の鳥羽茂とも親しく「鳥羽さんとのこと」というエッセイも残しています。東京にいたこともありますが、1940年からは故郷の長浜で古本屋「ラリルレロ書店」をはじめます。古本屋だった町家はいまも長浜の街に残るそうです。詳しくはぜひ本書をお読みください。
ほとんどの人が武田豊の詩を知らないと思いますので、詩集の中からわたしが好きな詩を四編紹介いたします。
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「大きい生活と飛んでゐる背」
両手を出したような
家の生活があんまり大きすぎて
ことに人と違って
私の背には赤い火を焚いて
青空を飛んで居るので
家の生活が乗りたがってゐても
あゝ私の背には乗せられないのです
乗りたがる生活と
のせられない私の背は
時折 寂しい影を残してゆく
その事は私の家の裏にある
竹藪かシユロの木に聞けば
白い字で書いた道しるべでした
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「晴着」
詩は私の晴着
たつた一枚の晴着
見て呉れ
このポンポンした
もめんの生地をー
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「やせ犬と詩人」
十二月の曇った冷めたい日
向かいの家の芥箱へ
大きいやせた犬が首を突っ込んで
しきりに何かを食べている
頭を時折もたげ
あたりのことなどおかまいなしという風に
もくもく口を動かしている
向かいの家の奥さんが出て来て
「大きい図体をお前も養わんならんで
なかなか骨が折れるネ」
そう云いながら玉子の殻らしいのを
芥箱へ放り込んで行った
「ようやく詩を一ツ考えると
また次の詩を考えんならん
頭のハゲルほど考えてえらいことや」
そう云って昨日も妻が笑った
やせ犬と詩人ー
どこかにふっとつながりのある気がする
甲斐性もないのに大きい詩の夢を持って
それを養うために明け暮私は悩んでいる
糧の無い犬は死に
糧の無い夢は枯れてしまう
ほうれ 缶詰の空缶を放り出したぞ
口のふちが切れて血が流れているのに
犬も
私もまだ鼻をならしている
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「水無月」
黄色い
大きい月が
中天にかかっていた
村は いわおのように
黒くて
静かである
時に 一軒
煌々と洩れる灯が見え
児供が病気で
今 危篤に落ちていると云う
その村をとり巻いて
降るように蛙が鳴き
蛍が水田の上を飛んでいる