断片日記

断片と告知

朝の音

たくさん飲んだ日の翌日、便所に行きたくて目が覚める。外はまだまだ暗く、夜と朝のはざ間くらい。尿意と布団から出る面倒くささをはかりにかけて、もう一度目をつぶったり、天井を見たり。そんなとき、ボン、と大きな音が隣りからする。隣りの豆腐屋が大豆を煮る大きな釜にガスを点火する音だ。ごぉごぉと、釜の底に火があたる音が、低く小さく続いていく。ごまかしきれず、布団をはいで便所へ行く。豆腐屋に面した便所の小さな窓から、煮えた大豆の甘く湿った匂いが漂ってくる。
便所から戻ってまた布団をかぶる。目をつぶるが寝付けない。そうしているうちに外が少し白くなる。白くなってはじめに騒ぎ出すのはスズメだ。周りには寺も墓地も木が茂る場所はいくらでもあるのに、どうしてこの窓の前の貧相な枝に群がるのかわからない。じゅじゅじゅじゅじゅ。じゅじゅじゅじゅじゅ。何匹いるのか、重なる鳴き声が窓のすぐそこで重たい。
キーギーキーギー。高く長く響くのは、斜め向いの葬儀屋の車庫があく音だ。古いシャッターは素直にあがらず、錆びの音を朝の街に撒き散らす。人々のケを巻き込んで、葬儀屋の朝があいていく。
大豆が煮えたのか、今度は豆腐屋の前が騒がしい。おはようございまーす。出来たての豆乳を目当てに、近所の人が、出勤前の人が、豆腐屋の軒先に顔を出す。軒先の棚には、円筒形で蓋のあるプラスティックの入れ物が、近所の人たちの豆乳のマイボトルが並ぶ。その場で飲んだり、持ち帰ったり。なにを話しているのか、ときどき笑い声が響く。
朝の音、豆腐屋のボンは日曜日が休み、葬儀屋のキーギーは友引の日が休みだ。
そんな朝の音に、春くらいか、それよりもう少し前だったか、ニワトリの鳴き声がまじるようになった。豆腐屋のボンの時間からときには昼過ぎまで、どこかでニワトリが鳴いている。近くの寺のあたりを歩いていても聞こえるし、だいぶ離れた神社の横を歩いていても聞こえる。街中の住宅街でニワトリを飼える家はそうそうないだろうと、近くの小学校にあたりをつけて近寄ると、ニワトリの声は遠ざかる。
よく行く弁当屋で、最近朝ニワトリの声が聞こえませんかと聞くと、あれうるさいわよねぇ、と迷惑顔。三時くらいから鳴いてるのよ。どこの家かしらと思って。並びの動物好きのうちあるでしょ。屋上で飼ってるのかしらって聞いてみたんだけど。違うって。どうも明治通りの向こうじゃないかって言うのよ。
うちから弁当屋まで一区画、弁当屋から明治通りまでさらに一区画、そこから交通量の多い通りを越えてさらに向こうの街から、ニワトリの声がうちまで届くのか。喉からしぼり出した、コケコー、コケコー。
そのうち探しに行ってみよう。鳴いてるときに、声を頼りに。隣町のニワトリ探しを楽しみにしていたが、そのうち、では遅かったらしい。ここしばらく鳴き声が聞こえない。よそにやられたか、鳥鍋にでもなったか。よく行く弁当屋まで、あら、そういえばそうね、食べられちゃったかしら、と似たようなことを言う。
ボン。コケコーコケコー。じゅじゅじゅじゅじゅ。キーギーキーギー。コケーコー。おはようございまーす。
朝の音からニワトリが引かれて、元に戻ったはずがなんだか少し物足りない。豆腐屋のボンもいつまであるのか。日曜日以外、大豆を煮続けた背中が見るたびに丸い。

夜のコンビニ

食堂のアルバイト帰り、近くの古本屋に顔を出す。いつもの顔が帳場の周りですでに一杯やっている。誰かもう一本飲む人いるー?と声をかけながら、夜のコンビニへ自分の酒を買いに出る。
また酒ですか。
腕に抱えた缶ビールを見て、レジの向こうの彼は必ずこう言う。
彼は、雑司ヶ谷に住む、作家で編集者のピスケンさんと、同じ風呂なしアパートの隣りの部屋に住んでいる。みちくさ市の打ち上げの店に行く途中、店への道がわからないというピスケンさんを迎えに、はじめてこのアパートを訪れた。アパートの戸を開けると小さな玄関から階段が伸び、二階にあがると暗い木の廊下の両側に点々と入り口が並んでいる。おーい、迎えに来たよー。ひと際うるさい部屋の戸を開けると、小さな流しの向こう、机と本しかないような殺風景な畳の部屋から、煙草の煙と酒の匂いが白く濁ってあふれ出す。ほら、行くよー。すでに酔っ払っているピスケンさんとお仲間に声をかけていると、ぼくの部屋ここなんです、とがらっと隣りの戸が開いた。夜のコンビニで会う彼だった。
酒を買ったときは、また酒ですか、と言い、珍しく酒じゃないものを買ったときは、今日は酒じゃないんですか、と言う。どちらにもうなづきながら、ピスケンさんは元気?と聞いてみる。二ヶ月に一度、みちくさ市のときにしか会わないピスケンさんは、二ヶ月に一度見るたびに痩せていく。えぇ、まぁ、と濁ったことばが返ってくる。
みちくさ市の打ち上げやお会式での飲み会に、ピスケンさんとともに彼を誘ったが、二度来て、二度とも酔ったピスケンさんをアパートまで連れて帰ってくれた以来、何度誘っても、えぇ、まぁ、と濁ったことばしか返ってこない。

嘆き節

西口のコンビニへ移動した彼の替わりに、西口のコンビニから新しい店長がやってきた。入れ替わりなんですよ、と新しい店長を紹介された。紹介された気安さからか、レジの向こうの新しい顔と話すことに抵抗がない。
自分が来たとたんすぐモノが壊れるんですよー、バイトのばっくれが多くてー、この店たばこの種類が多すぎるんですよー、少しずつ減らしますよー。
前の彼とは違う、真面目な顔での嘆き節もまた愉快で、あいかわらずこのコンビニに通っている。
アルバイトの顔も多少変わった。よく会うのは坊主頭のがっちりした体格の彼で、いまの店長の嘆き節のせいか、彼もまたよく嘆く。ある日行くと、寝てないんですよーと嘆き、またある日行くと、右手が痛いんですよー、と右肩の辺りを弱々しくさすっている。坊主頭とがっちりした見た目から、運動でもして痛めたのかとたずねると、いえ、役者をしています、と返ってくる。たばこを取るために一日に何度も手をあげるからですかね、とレジの真上の棚に右手をのばし、いてて、という顔を見せてくる。坊主頭にしたのも役ですよ。高校生の役なんです。
高校生?つい聞き返してしまったことばの響きを読んだのか、いや、留年した高校生ですよ、と照れながら笑う。
珈琲を待つあいだ、彼、役者なんですね、と新しい店長に話しかける。自分も昔、目指してたんですけどねー。どこか自慢げに、新しい店長がこちらを見返す。実際、多いですよ、この業界。時間の自由がわりと利くから。そうなんだ。うなづきながら、ここで働く顔とは違う、役者の顔はどんなだろうと想像しながら、いれてもらった珈琲を受け取る。

ゆるい約束

よく行くコンビニがふたつある。一軒は昼間、弁当や珈琲を買いに、もう一軒は夜、缶ビールや缶チューハイを買いに行く。店を分けているのは、昼間に行くコンビニにしかいれてもらえる珈琲がなく、夜行くコンビニのほうが酒が安いからだ。
昼間のコンビニでいれてもらった珈琲を受け取り、レジ前に置かれた台で砂糖とミルクをその場で入れる。
いつも珈琲ですね。
一拍おいて、同じことばがもう一度聞こえた。
いつも珈琲ですね。
二度目で顔をあげると、レジの向こうの顔が、笑いながらこちらを見ている。
わたしに話しかけている、わかるまでに間があった。慌てて同じことばを繰り返した。
あぁ。はい。いつも珈琲ですね。
レジの向こうの顔と話すようになったのはそれからだ。
いらっしゃいませ。こんにちは。オーナーが替わり、本社に言われて山形のコンビニから豊島区のコンビニにいきなり派遣されたこと。事務机の整理ができなくてアルバイトの女の子から怒られたこと。そのおかげで店長から降格したこと。万引きが多いこと。いつか自分もコンビニをやりたいとアルバイトの子が言ってくれたこと。珈琲を受け取るまでの少しのあいだ、レジの内と外で起こる悲喜劇を、笑いに変えながら話してくれる。
レジを待つあいだ眺めていると、どの客にもさりげなく、話しかけたり笑いかけたり。うちは品揃えでは他のコンビニに負けちゃうから。弁当なら向かいのコンビニのほうが品数もうまさも上なのに、いつの間にかこのコンビニで買ってしまうのは、この人の顔を見るためと、この人が来てからかわった店の空気が好きだからだ。そういう人はこの町で、たぶんわたしだけじゃない。
ある日、移動になりました、と告げられた。しばらくして、駅の反対側、西口の繁華街の端っこの店で働きはじめた。ときどき西口で飲んだ帰りに店に寄る。酔い覚ましの水や茶を買いながら、かわらない顔を見る。
いつか飲みましょうね。
移動の前にゆるい約束を交わしたが、ゆるいものはゆるいまま、まだ果たせていない。

犀星スタイル

室生犀星のファッションや暮らし方に光を当てた冊子、『犀星スタイル』が出来上がりました。室生犀星と娘の朝子さんの書いたエッセイや日記のなかから、孫娘の洲々子さんが、犀星のこだわりをよりぬき編まれた一冊です。
目次は、オデイト、艶布巾、満州ダイヤ、女ひと浴衣、炬燵、天然パーマと黒い髪、ラクダのシャツ、ネルのポケット、袂、蝙蝠傘、タータン・チェック、白い旗、虫籠、机の上、ハイヒールの穴、岡あやめ、ギチチ、煙草、帽子。
「美男子ではない、背が低いということに、犀星は晩年までコンプレックスを感じていた。だからこそ自分で考え、作り出したオシャレを、大切にしていたのであった。」
ハイヒールをはく女性が好き、だけど自分の背の低さは嫌い。帽子をかぶり、下駄を履き、銀座を並んで歩くとき少しでも背が高く見えるよう工夫を凝らす。劣等感を発明や創作につなげていく犀星と、その犀星を容赦なく描写する朝子さんの文章が愛おしい。
犀星好きのかたはもちろん、これから犀星を好きになるかたにも、ぜひ手にとっていただきたい一冊です。

『犀星スタイル』
室生洲々子編
龜鳴屋発行
絵 武藤良子
頒価1000 円 (税・送料別)

■金沢の室生犀星記念館、軽井沢高原文庫、もしくは龜鳴屋のサイトからお求めいただけます。
室生犀星記念館
書籍編集発行所「 龜鳴屋」

■目白のブックギャラリーポポタムでもお求めいただけるようになりました。
ポポタム店頭で:ブックギャラリーポポタム|東京目白にある本とギャラリーのお店 | 東京目白にある本とギャラリーのお店「ポポタム」のWebサイト。
ポポタム通販で:Books&Gallery POPOTAME tokyo




金沢龜鳴行

五月半ば、二泊三日で金沢に行った。金沢を訪れたのは二回目で、一回目は2011年3月の震災の数日前だった。野町駅そばの銭湯「野町湯」を訪れたが、そのときのことはこのブログに書いていない。沖縄で訪れたいまはなき銭湯も、長野善光寺そばの銭湯「亀の湯」も書いていないのは、旅先の出来事は多すぎて、書きおこす億劫さに負けがちだからだ。そのおかげで、沖縄で訪れた銭湯はいまや名前さえも覚えていない。
旅先で起きたあれこれはちょっと置いておくにしても、せめて行った銭湯の名前くらいは、いつかの自分のために書いて残しておきたい。
金沢の長町、せせらぎ通り沿いのマンションの一階の銭湯「松の湯」。今回の金沢旅で龜鳴屋の勝井さんに、行ったことはないけれど、モダンかな、とすすめられた銭湯のうちのひとつだ。通りから数段あがって暖簾をくぐる。くぐると広めの下足場に、右手奥に下足箱。大きなロビーにソファセットとテーブル、正面右手に女湯の入り口。入ると左手に番台、女将さんに入浴代440円を払う。番台においてあった銭湯のスタンプラリー「かなざわおふろ旅」と金沢の銭湯マップをいただく。番台の正面に、洗い場に面したステンドグラス模様の窓、その前に体重計がある。洗い場の入り口はそのステンドグラス窓がある壁の右端、階段をこんどは数段おりて洗い場へ。階段すぐ向かいに小さなサウナ、水風呂、珍しいけれどたまに見る全身浴びられる筒型のシャワーが並ぶ。そこから左手に横長に広がる洗い場へと続き、やはり横長の島カランが真ん中に一列走る。横長の突き当たりには湯船があり、左から深め、浅め、浅めの手前にはみ出すように極浅め、がある。珍しいのは、横長突き当たりの男湯との境の壁のうえに、赤く細かいタイルで覆われた巨大な球体が半分こちら側に飛び出しているのと、浅めの湯船の右奥に茶色の大きな立方体が積まれた滝があることだ。立方体の茶色は錆の浮いた鉄の固まりのような彫刻のような趣きがあるが、触ってみるとだいぶ軽い。そのうえから、これでもかこれでもかとお湯があふれ出している。
松の湯:金沢市長町1-5-56
山の上町の銭湯「梅の湯」。いまの家に移る前、勝井さんご夫妻が長いこと住んでいた長屋のそばの、よく通った銭湯。大きな道路に面しており、一階は駐車場、二階が銭湯になっている。正面の階段をあがると観葉植物が置かれた大きなガラス窓の温室のような下足場が現れる。左手に男湯と女湯の入り口があり、その先にマッサージ器が置かれたちいさなロビーがある。女湯の入り口はすりガラスのはまった木製のドアで、ガラス部分に赤い字で、御夫人、と書かれている。ドアを開けると、丸いカーテンがさがり、外からも番台からも脱衣場が見えないようになっている。右手に番台、男湯との境の壁に大きな鏡、反対側の壁にはロッカー、真ん中にソファと丸テーブルと椅子が点在する。5月半ばにも置きっぱなしのストーブが、金沢の寒さを想像させる。洗い場入り口の左手にベビーベッドがふたつ。洗い場入り口右手の流しにはパンダの絵柄の北陸製菓の広告がある。天井を見上げると、ぽこんと立方体に突き出た湯気抜きがある。洗い場の湯気抜きは当たり前だが、脱衣場の湯気抜きははじめて見たのではないか。洗い場に入ると、右手にシャワーブースがふたつ、両脇の壁にカラン、真ん中に島カランが一列あり、赤と青の丸い部分に宝のマークの、赤い湯のカランのほうが一段低く設置されている。奥の壁沿いに、左手から番茶の湯、左奥の角にジェットがついた深めの湯、浅めの泡風呂が並ぶ。男湯との境の壁のうえにはレトロなデザインの笠の蛍光灯がある。「松の湯」でもらったスタンプラリーに「梅の湯」の判子ももらう。また来なっし。全部周ったら、また来なっし。番台の女将さんに金沢のことばで送られながら。
梅の湯:金沢市上の町4-21
一泊目は勝井さん宅に、二泊目はホテルに泊まった。そのホテルからそう遠くない場所の銭湯「瓢箪湯」。マンションの一階に観音開きのガラス戸の入り口、正面の壁に「瓢箪湯」の文字と営業時間の入った丸い明かり。左手が女湯のドアだが、女湯男湯ともに赤紫色の桟のガラス戸でなかなかのハイカラ具合。入ると左手に外の道に面した大きなすりガラスの窓、正面に下足箱、右手に番台がある。すりガラスを通して道から脱衣場が見えないよう、昔の病院で使っていたような布製の間仕切りがゆるく置かれている。番台の前の男湯との仕切りはカーテン、その横の仕切りの壁にめり込んで冷蔵庫があり、白い扉が壁にぴっちり埋まっていている。脱衣所は左手の壁にロッカー、足元には脱衣籠も点々とあり、右手の壁には木製のベビーベッドがふたつ、下が観音開きの戸になっている。洗い場は両壁にカラン、真ん中に島カランが一列、奥の壁左手から小さなサウナ、浅めの泡風呂、深めの湯船と並び、浅めと深めの湯船の向こうはガラス張りの温室になっており、赤い花のサボテン、ゴムの木など、観葉植物がきちんと手入れされ並んでいる。ガラスを通して光も入るので洗い場がとても明るい。温室も珍しいが、洗い場と脱衣場の間の壁に配管むき出しのような腰くらいの位置にシャワーがみっつ、間隔も狭く並んでいるのも珍しい。どう使うのか、入っているあいだ使っている人には出会わなかった。
瓢箪湯:金沢市瓢箪町1-7
2011年に訪れた「野町湯」はどうなっただろう。知りたくて犀川大橋を渡って野町まで歩く。野町三丁目の交差点を右に、ゆるく曲がる坂をおりていく。北鉄石川線野町駅手前、右手の路地の奥に煙突が見えてくる。東京の細長い煙突とは違う、関西でよく見る太く短い煙突だ。道に面して「野町湯」と書かれた看板が建つが、看板の奥の入り口に人の気配もない。横に周るとコインパーキングに面した外壁に、モザイクタイルの模様が貼られており、銭湯内部の華やかさを少しだけ感じさせる。コインパーキングの裏に周ると更地が広がり、「野町湯」の古びた横顔がさらけ出されている。レンガの壁のうえに瓦屋根がのり、所々ブルーシートがかけられ、煙突が伸び、トタンで覆われた部分は錆びている。コインパーキング側とは逆の路地に周ると、駅前の看板の奥とは違う、しっかりした木造二階建ての入り口が現れる。入り口横の台所らしき窓からは炊事の気配がし、入り口にはカーテンがさがり中が見えないが、貼り紙がそう古びてみないことから、わりと最近まで営業していたのかもしれない。覚えているのは、男湯との境の壁に湯船が並んでいたことや、洗い場や脱衣場の流しのタイルの華やかさから、京都の銭湯を思い出したことと、洗い場の奥の壁と、脱衣場との境の壁のうえにもモザイクタイルの絵があったことだ。境の壁にまでタイル絵が描かれているのは、東京でもほとんど見られない。たしか山並みの絵だったと思うが定かじゃない。こうして「野町湯」の前で残る建物を見上げていても、立派なほうと駅前のほうと、どちらの入り口から脱衣場に入ったのかさえ覚えていない。
野町湯:金沢市野町5-5-11
金沢の町にはいたるところに用水路が流れ、「野町湯」に向う路地の手前にも流れている。帰りはその横を犀川まで抜けようと歩きだす。にし茶屋街のしたあたりに来たところで古びたスナック街にぶつかり、通りを越えてさらに行くと、室生犀星が幼少期を過ごした寺、雨宝院の前に出る。銭湯と、酒と、犀星と、好きな場所が用水路でつながっていたんですよ。帰って勝井さんに報告すると、いいねぇそれ、書いてよ、とテーブルの向かいの顔がにやりと笑った。