断片日記

断片と告知

雄鶏

昨年の夏、青山でヒッチハイクをしている若い男に出会った。よく焼けた肌、頭にまいた白いタオル、小柄な体にだぶだぶのTシャツを着、北へ、と黒のマジックで雑に書かれたダンボールを手に、246沿いに立っていた。
缶ビールを飲み酔っ払いながら歩いていた気安さと、はじめて見るヒッチハイク姿に、つい声をかけた。青山のこんな場所で、北へ行く車なんか通らないんじゃないかな。いきおい、近くのコンビニで買った缶ビールを持たせ、北へ向かう車が通りそうな街へと、一緒に歩くことにした。
青山ベルコモンズの横から神宮外苑を抜け、四谷三丁目の交差点まで歩いた。青山よりはと、北へと書かれたダンボールを手に男は交差点に立ってみたが、車は1台もとまらなかった。ダンボールを借り、わたしも交差点に立ってみる。迷惑そうな顔を車窓に映し、車が横をすり抜けていく。数時間は当たり前ですよ、と、若い男に笑われているうちにその日が暮れた。
市ヶ谷まで歩き、日高屋で生ビールと餃子とラーメンを食べた。沖縄からはじまり、実家のある北海道を目指しているという、男の話を聞きながら。今晩泊まる場所がないという男を、アトリエとして借りている雑司ヶ谷の風呂なしアパートに連れて帰った。冷蔵庫の酒はてきとうに飲んでいいから、と言い残し、風呂なしアパートの戸を閉めた。
翌日の昼過ぎ、アパートをのぞくとすでに男の姿はなく、男の名前と、メールアドレスが書かれた小さな紙が1枚、ちゃぶ台のうえに残されていた。
風呂なしアパートで別れてからちょうど1年、男と会い、酒を飲むことにした。
池袋の北口改札で待ち合わせ、西口の酒場「ふくろ」へ行った。沖縄から大阪まで徒歩で8ヶ月、大阪から実家のある北海道まではヒッチハイクで2ヶ月かかった。風呂なしアパートで別れた翌日は二日酔いで、アパートそばの不忍通りに立ってみたが車は止まらず、そのまま歩いて上野まで、その日は上野公園で野宿した。車が止まったのはまた翌日、上野あたりの6号線から乗り北へ向かった。東京から北海道まで乗った車の数は、20台と言ったか、30台と言ったか。東京のような車線の多い大きな街ほど車は止まらず、高速道路が一番止まりやすい、と、した人間ならではの言葉を聞くのが楽しかった。
岐阜で泊めてもらった家で、その家で平飼いしている鶏を食べた。食べた鶏は雄鶏で、雄鶏は3羽しかいなかったから、すぐどの鶏かわかった。毎朝、えさをやりにいくと、自分の脛を血が出るまでつつくあの雄鶏だ。首を切った鶏をゆで、羽をむしった。雄鶏はカレーにして食べたが、肉は固く、ゴムのようでちっともおいしくなかった。翌朝、鶏にえさをやりにいくと、脛をつつくものがいない。悲しかった?と聞くと、寂しかった、と男は答えた。
ここ数ヶ月、茨城で住み込みの芋掘りの仕事をしていた。ポテトチップスになるじゃが芋の選別をしていた。住み込みの寮の飯は自炊で、その間は野菜ばかり食べていた、と「ふくろ」のモツ煮込を前にして言った。好き嫌いはないんです、出されたものはなんでも食べます、と、どれだけの家の飯を食べてきたのか、どれだけの顔と機嫌を見てきたのか、男はなんでもよく食べ小さなことでよく笑う。
東京には土がないですね、と言う男を駅まで送りながら、駅前の街路樹や花壇の鼻くそのような土を指差し、あれも土、これも土、と指差しながら歩いて笑われた。
来週から滋賀へ行きます。祭りの手伝いです。
次はいつになるのか、東京に来たらまた飲む約束をして別れた。男から聞く話は、愉快で少しだけ寂しい。脛をつつく雄鶏みたいに。