断片日記

断片と告知

痛風未満

昨年10月半ば、朝起きて便所に行こうと立ち上がったときだった。右足の甲が痛い。寝ているときには気が付かなかったが、立ち上がり甲に力が加わると激痛が走る。見ると少しだけ腫れている。転んだりひねったりした覚えはなく、あるとすれば日々飲んできた酒だけだった。夕方、スーパーまでの道のりでサッポロ黒ラベルを一本、帰り道で本搾りグレープフルーツ味を一本、夕飯を作りながら赤ワインの炭酸割りを何杯か。外に飲みに行けば生ビールからはじまりサワーや酎ハイを数杯あける。金沢で飲めばそこに日本酒が加わる。アルコールが入った水分を毎日1リットル以上、20年間こつこつまじめに飲んできた。まったく飲まない日は1年間で片手くらいしかない。

痛風になったかも。会う人ごとにこぼしたが、病気にしては自業自得が強すぎて、みんなどこか半笑いだ。区の無料の健康診断の時期と重なり、医者の問診でも、痛風かもしれません、とこぼしたが、尿検査の結果待ちだねー、とこちらもどこか半笑い。まぁ、飲み過ぎなければお酒は悪いもんじゃないからさ、たばこはひとつもいいことないけどね、と痛風の話はどこへやら、たばこをやらないことだけ褒められる。

昨年放映された「 テレビ千鳥」という番組で、芸人の千鳥が都内の喫煙場所を巡る回があった。たばこ好きの大悟が町のたばこ屋を訪ね、軒先にある灰皿を借りて煙をふかす。米屋とクリーニング屋を兼ねたたばこ屋、自家製のおにぎりとサンドイッチを売るたばこ屋、中で酒が立ち飲める角打ちスタイルのたばこ屋。

ぜんぜん売れない、来年もっと厳しくなってくみたいよ、オリンピック、外に灰皿も置けない、とたばこ屋のおばちゃんと大悟が嘆く。「角のたばこ屋」ということばも景色も、そう長くないのかもしれない。

子どものころ、父や祖母が吸うたばこを近くのカドヤまでよくお使いに行った。雑司ヶ谷にあったカドヤは、名前通り明治通り沿いの角にあったスーパーだ。父はチェリー、祖母はセブンスターを吸っていた。ときどき散歩も兼ねて祖母も一緒にカドヤまで歩く。祖母のお気に入りのライオネスコーヒーキャンディと便所紙のチリ紙も買う。ごわっとした四角い紙を重ねたチリ紙はわたしの背丈くらいもある。ぐらぐらするチリ紙を胸に抱えて歩く帰り道、赤いキャンディの包み紙、「7」の形に並んだ銀色の小さな星たち。思い出すと胸のどこかがちりちりと鳴る。祖母も亡くなり父も亡くなり、だいぶ前にカドヤもセブンイレブンに変わった。

 昨年11月、鴬谷で待ち合わせ、千束の鷲神社へ酉の市を見に行った。ザキ先輩とはっち、瀬戸さんとわたし、途中の酒屋で缶ビールを買って飲みながら歩く。この辺をよく自転車で走るザキ先輩を船頭にして。ちょっと寄り道して行こう、と船頭が向かった先は、お気に入りの場所だという大きな鳥居のたもとに置かれた灰皿だった。鳥居の横には酒屋を兼ねたたばこ屋がある。ザキ先輩と瀬戸さんが煙をふかしている間、わたしは奥の神社をのぞきに行く。小野照崎神社。暗い境内の奥で女がひとり、頭を垂れて手を合わせたまま動かない。入り辛くてすぐ灰皿まで引き返す。鳳神社の酉の市は、ひとの欲望を貼り付けまくった熊手が金色の回廊のようにどこまでも続く。暗い境内にひとりいた女もどこかの欲望に手を合わせていたはずだが、金色の熊手を振りかざす華やかさとは真逆の、黒い小さなシミみたいだ。

女の熱心さのわけが知りたくて後日調べると、学問、芸能、仕事にご利益があり、売れる前の渥美清が好きだったたばこを断って願をかけ、『男はつらいよ』の寅さん役がついたことで知られるようだ。禁煙を誓った神社の鳥居のたもとに置かれた灰皿から、そんなことは知らないザキ先輩と瀬戸さんの吐いた煙がのぼっていく。

 1ヶ月後に送られてきた健診の結果、尿酸値はいたって普通。酒もたばこもやらないに越したことはないが、やればやっただけの忘れられない空も見られる。

二日目のカレー

まだ要町そばの廃校になった小学校の理科室で絵を描いていたころ、描くのに飽きると近くのかえる食堂に逃げた。かえる食堂ができて間もないころだ。『銭湯断片日記』にも出てくるが、はじめからみどりのカレーばかり食べている。野菜とかみどりとか、日頃を正してくれそうなものに昔から弱いのだ。

みどりのカレーには、季節ごとに違う野菜が入っている。大根、ごぼう、とカレーではあまり見ない野菜に、カレーとは別の下味がきちんとついている。ごぼうの甘塩っぱさがスパイスの効いたルーとよく絡み、ごぼうの歯ごたえとともに食べることそのものが楽しい。

寒くなると、考えるのも面倒なので、週に2回か3回は夕飯に鍋を作る。よく行くスーパーは入ってすぐのところに季節のお買い得の野菜が並ぶ。ほうれん草、大根、ネギ、その日の気分をカゴに放り、魚と肉と豆腐の棚を回ってレジへ行く。土鍋を火にかけ、昆布だしの粉とか白だしとかであっさり作り、馬路村のポン酢で食べる。

あっさりしてても週に3回も食べればさすがに飽きる。鍋の底に肉や野菜がまだあるし、なによりいろんな味が染みでた汁がもったいない、が手が止まる。具沢山の汁を一晩寝かせて考えた。そうだカレーにすればいいんだ。

具が多ければそのままジャワカレー中辛のルーを入れて煮る。少なければ適当に具を足してやっぱりジャワカレー中辛のルーを入れて煮る。鍋の底の大根とかネギとかエノキとか豆腐とか、ふだんカレーには入れない具にためらいがないのは、かえる食堂のカレーが先にあるからだ。何が入ってても包み込むカレールーはえらい。そしてたいていうまい。

うちで二日目のカレーといえば、作った翌日のカレーではなく、鍋の翌日のカレーを指すようになった。我が家の二日目みどりのジャワカレーもなかなかの味、と、年末の最終営業日のかえる食堂を訪ねてみどりのカレーを食べた。別物のうまさだった。

 

 

2019年でした。

今年4月、はじめての本『銭湯断片日記』(龜鳴屋)が出版されました。雑誌と書籍で絵の仕事をいくつかしました。入谷コピー文庫に文章を寄せました。11月から金沢の室生犀星記念館で展示「犀星スタイル 武藤良子原画展」が開催中です。

退屈くんに教えてもらった「本読み河出スタッフが選んだ、2019年の本(他社本もあるよ!)」。中山さんに『銭湯断片日記』を取り上げていただきました。

本読み河出スタッフが選んだ、2019年の本(他社本もあるよ!)|Web河出

今年最後の絵の仕事は、東京旅館協会発行の「東京旅館手帳」。外国からの旅行者用の冊子に、ゴム版画を彫りました。東京の旅館で12月から無料配布しています。

来年も絵と文章をかいていきます。

#TIMELESS_ RYOKAN in TOKYO | 日本旅館協会 東京都支部

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枕詞

金沢でちょっと遠いところ、第7ギョーザとか、レモン湯とか、へ行こうと思うと、勝井さんが車を出してくれる。乗っているあいだ黙ったままでも構わないけど、ちょっと遠いので車のなかでなんか話す。何度も車に乗るうちに、話したことを忘れて同じ話をまた話す。面白い話ばかりなので、同じ話でも気にしない。気にしないけど何回目かで、あ、その話、前にも聞いた、と申告する。最近では、この話前にもしたかもしれないけれど、と枕詞を保険につける。

学生食堂のアルバイトをはじめて4年が過ぎた。新しく入ってきたアルバイトに仕事のやり方を伝えるのも仕事になった。開店準備は早番の人たちが、開店から閉店作業までが遅番のわたしの仕事だ。戻ってきた大量の皿の洗い方、乾燥機への仕舞い方、どうやったら早く楽にできるかを4月から伝えているが、伝わらない人には今年が終わるいまになっても伝わらない。これこないだも言ったよね、覚えてね。

同じようなことばなのに、したかもしれない枕詞はいつでも明るく、したよねの枕詞は言うたび沈む。

これ前にも言ったと思うんだけど。言ってもらえるだけありがたいと思わなきゃね、ねぇねぇ、武藤さん、こないだの即位のパレード、テレビで見ました?彼女は沈むことさえ許してくれない。どこまでも足のつかないプールみたい、彼女の前でわたしはいつも浮いたまま。

福神漬け

学生がカレーの食券を持ってやってくる。券を受け取り、長方形のカレー皿に飯を半分、カレールーを半分よそう。炊飯器の横には福神漬けの入ったポッドが置かれている。トングで福神漬けをつまみながら、福神漬けはつけますか?と注文が入るたびに聞く。答えが、つけます、つけません、なら簡単だが、一番多い答えは、大丈夫です、だ。つけますか?と聞き、大丈夫です、と言われたら、わたしは福神漬けをつけない。

つけないままでカレー皿を差し出すと、学生が、いえ、大丈夫なんですけど、と不思議そうな顔をする。福神漬けをつけて大丈夫です。最近の使い方はそうなのかと、それならそれでと福神漬けをつけると、いえ、大丈夫なんですけど、とまた不思議そうな顔をされる。

大丈夫です、の、いるいらないは人それぞれらしい。聞き方を変えてみたらとほかも試す。福神漬けはいりますか?福神漬けはどうします?福神漬けは?どう聞いても返ってくる、大丈夫です、の守備範囲が広すぎて、打った打球が向こうへ飛ばない。

近くて遠い金沢と

いつもはひとりでビジネスホテル泊まりだが、今回の金沢行きは友人が一棟貸しの宿を探してくれた。東山茶屋街のそばの、古い長屋を改装した宿だ。1階には、みなで食事ができる大きなテーブルと椅子、小さいが煮炊きのできる台所、洗濯機乾燥機がついた風呂場、奥の部屋にはベッドがふたつ、2階にもベッドが4つと、一通りのものが揃っていて旅先でも「生活」ができる。沖縄からひとり、東京から4人、合わせて5人、この宿で4日間を過ごす。先に荷物を降ろして東山を散策してから戻ると、沖縄から着いた宇田さんが、おかえりなさい、と玄関の戸を開けてくれた。

宿から一番近い銭湯は浅野川大橋のたもとにある「くわな湯」だ。川沿いと路地からと入り口がふたつある。ガラスの引き戸を開けると玄関があり、入浴券の販売機を正面に、右手が男湯、左手に女湯の暖簾がさがる。暖簾をくぐると右手に番台、販売機が壊れていたので420円を払う。入るとまず正面の大きな本棚が目に入る。左手のアイスが入った冷凍庫の横にも本棚がある。並んでいるのは、石田衣良恩田陸伊坂幸太郎村上春樹スラムダンク宇宙兄弟など、人気作家の新しめの本がきれいな背表紙を見せている。ノートが1冊本棚に置かれ、めくってみると、書名、日付、名前、が書かれ、どうやら貸本ノートのようだ。本棚が置いてある銭湯はまま見るが、たいていよれた雑誌か、抜けた巻の漫画が並ぶかで、こうした生きた大きな本棚がふたつも、しかも貸し出ししているのははじめて見た。

洗い場は、島カランが真ん中に一列。左手の壁沿いにサウナと水風呂、とカランが奥の壁まで続く。右手の男湯との境の壁に奥から、座ジェット、泡、薬湯、と湯船が三つくっついている。奥にいくほど湯は熱くなる。サウナの入り口の上に、洗い場に向かってテレビが一台置かれている。音は出ているのかいないのか、風呂につかってぼやけた映像を眺める。洗い場入ってすぐ右手に男湯と行き来のできる戸があるが、その上に固定シャワーがふたつ並んでついている。ひとつが水、もうひとつはお湯が出る。その横には円筒形のシャワーブース。中に入って蛇口を開くと360度から湯が噴き出る仕組みだが、壊れてまともに湯が出ない。この円筒シャワーはよそでも見るが、どこもきちんと湯が出たためしがない。

体をふいて脱衣所へ。本棚の裏にくっついて島ロッカー、その上に「くわな湯」の模型がどーんとのっている。湯上がりには冷えたビールをぐっとやりたいが、冷蔵庫はあっても缶ビールは売っていない。昨年からの金沢通いで行った銭湯、あわづ湯、れもん湯、石引温泉亀の湯、みろく温泉元湯、松の湯、瓢箪湯、梅の湯、こぼし湯、どの銭湯でも缶ビールも缶酎ハイも見なかった。駐車場のある銭湯が多く、車で来る人が多いからかもしれない。ホテルの上にある「天空の湯」だけは、ロビーの端に缶ビールの自販機が置いてあったが、故障中と書かれた紙が貼られていた。

人よりよぶんに酒を飲むくせに便所も近いので、わたしだけ便所に近い1階のベッドで寝る。2回か3回、尿意で起きる。朝は誰かが2階から降りてくる音で目が覚める。

11月30日トークショーの朝、昨晩エムザのアンデルセンで買ったパンを食い、宇田さんと先に宿を出る。浅野川大橋を越えてまっすぐ、味噌蔵町をくいくいと曲がり、金沢城兼六園の間を抜けていく。信号の横についた道路標識を見て、縦書きですね、と宇田さんが言う。言われてみれば、縦長紺地の標識に白抜きの文字で味噌蔵町とある。沖縄は横書き、東京はどうだったか。

21世紀美術館横の用水沿いを歩き、片町のほうまで。金沢の街はいたるところに用水が流れ、家の前にも流れているので、私有橋と呼ばれる小さな橋が、家と道とをつないでいる。植木鉢がのっていたり、駐車場を兼ねていたり、形も素材もまちまちなので見飽きない。宇田さんが私有橋の写真を撮る。宇田さんは昨晩も、近江町市場にかかるアーケードを何枚も何枚も撮っていた。沖縄の宇田さんの店の前、牧志第一公設市場の建て替えとともに、店と市場にかかるアーケードも建て替えになる。宇田さんのカメラは城とか紅葉とかには向かない。宇田さんのカメラが、わたしが見せたかった小さな橋に向かう。

犀川大橋を越え、交番を右折、すぐに犀星が子どものころ住んでいた寺・雨宝院がある。ここから、犀星の生家のあとに建てられた室生犀星記念館は、目と鼻の先だ。『杏っ子』を読んだあとに金沢を歩くと、寺と生家があまりにも近いことに驚く。犀星の容赦のない描写で知る育ての母の行いと、産みの母の生きる場所が、せめてもう少しだけ離れていて欲しかった。

室生犀星記念館で室生洲々子さんとトークの打ち合せ。打ち合せのあと、近くの「中華の白菊チュ〜」へ行く。白菊はこのあたりの地名で、みんな白チュ〜と呼んでいる。あんかけ焼きそばがうまいと洲々子さんに教えてもらったが、寒かったので温かい汁物をと、あんかけラーメンを食べる。宇田さんは、ご飯を食べないと力が出ない、と昼セットのラーメンと炒飯。チュ〜は中華のチュウだと思っていたが、タダシさんがはじめたからだと教えてもらう。タダシさんがはじめたチュ〜は金沢の街のあちこちにあるようで、昨晩パンを買ったエムザの中にも町名のつかない「中華のチュ〜」が入っていた。

洲々子さんと宇田さんとの3人でのトークショーは大入り満員。幅広い層の人たちが来てくれたと喜んでいただけたが、人前で話すことは何度やってもやれた気がまったくしない。たどたどしくとも誠実にと試みるが、はじまったとたん脳がぴゅーっと滑っていく。打ち合せと展示の搬入とで何度も来ている金沢で、洲々子さんと龜鳴屋の勝井さんと夜はたいてい飲みに行く。酒とともに洲々子さんから聞く室生家のこぼれ話が好きなので、その片鱗は、トークショーに来ていただいた方にも味わっていただけた気がする。沖縄から来た宇田さんは、沖縄の詩人・山之口貘と犀星が似ていると話す。文法が、文章がちょっとおかしくとも、それよりもっと書きたいことがあるふたりだと、そうしたところがアイドルなんですと話す。わたしは『をみなごのための室生家の料理集』と『犀星スタイル』の挿絵で触れるまで、犀星をまともに読んでこなかった。詩、小説、随筆、どれも幅広く膨大で、何から読んでいいのかわからない作家のひとりだった。挿絵を描くにあたり、洲々子さんからいただいた資料は、洲々子さんがおこした室生家のふだんの味のレシピで、犀星を読むより先に、わたしは台所の勝手口から室生家に入れてもらった。勝手口から入った室生家は、写真で見ていた犀星の渋さからは真逆の、寝室の戸まで開け放している赤裸々さで、その驚きを話そうとマイクを持ったとたん、脳がぴゅーっと滑っていった。

 トーク終わりのサイン会で、Oさんから『ふるさとのかぜ』第130号という冊子をいただく。Oさんは「父ちゃん、沈んだ、沈んでる」という文章を冊子に寄せている。父親と銭湯に行った子どもが、八百屋のおじさんが湯船で溺れているのを見て、助けようとして一緒に溺れてしまう話だ。これ「野町湯」です、とOさんが言う。取材に来てくださったAさんは大学が金沢で、入学してすぐ金沢市内の銭湯リストを大学から配られたいう。入学した90年代はじめには金沢市内に70以上銭湯がありましたよ、と教えてくれる。寮の風呂が週3日だったから、すぐ裏手の「野町湯」に行っていたんです。

「野町湯」は、北陸鉄道石川線野町駅を出てすぐ左手にある銭湯だが、いまはもう廃業している。わたしがはじめて金沢に行った2011年3月はじめにはまだやっていた。銭湯というより古い旅館のような木造の佇まいで、中に入ると脱衣所の流しも、洗い場も凝った美しいタイルが貼られていた。廃業したいまも建物は残り、裏手に回ると表とは違う、古いレンガ造りの壁と煙突が見える。外に面して一部タイル貼りの壁も見える。

そういえば、宿から一番近いスーパーに行く途中には「梅の湯」があり、前を通るとしばらくお休みしますの貼り紙が。龜鳴屋の勝井さんに伝えると、えっ、と驚く。「梅の湯」は、だいぶ昔、勝井さんが長屋住まいをしていたころ、通っていた銭湯だ。昨年だったか、勝井さんに連れられ入りにいった。1階が駐車場で2階が銭湯。階段をあがると温室のように植木が並び、女湯の入り口のガラス戸には「ご婦人」だったかの文字があり、銭湯というよりパーマ屋の入り口のようなしゃれた様子だった。脱衣所にはストーブが出ていたので、まだ寒い時期だったのか。帰るときに番台の女将さんに、また来なっし、と言われていたのにそのままになっている。

トークの翌日は、勝井さんちを訪ねたり、回転寿しに行ったり、活版の尚榮堂さんで試し刷りをさせてもらったり。夜はわたしたちの宿で、室生犀星記念館の洲々子さんSさんOさん、勝井さんご夫妻と、総勢10名で鍋を囲んだ。エムザで買ったタラとホウボウを鍋で煮る。差し入れでいただいた日本酒とワインと白菜とチーズとかぶら漬け。金沢では正月に食べるという、福梅と辻占という和菓子。

最後の朝は、米を炊いてスーパーで買った納豆をかけて食う。ホットプレートも炊飯器もあるのに、なぜかご飯茶碗が見あたらない。ケーキをのせるような小さな平皿に盛られた納豆飯が、ぼろぼろ箸から逃げていく。余った米を4人で分ける。紙コップに一杯ずつ米をすくってポリ袋に入れていく。配給、疎開、ということばが浮かび雨の朝がより暗い。

バスで金沢駅まで出て、宇田さんは小松から飛行機で帰る。帰りに小松駅そばのアーケード商店街を見て行くという。金沢にいた4日間でおでんを3回食べた。金沢のおでんで一番好きな具は、出汁がしみたくるま麩だ。沖縄ではおでんもくるま麩も食べるのに、おでんの具にくるま麩は入れません、と宇田さんが教えてくれる。東京のおでんでもくるま麩は見ない。沖縄まで飛行機でたった2時間、東京も新幹線で2時間半だが、くるま麩とおでんが出会うには遠いらしい。

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 金沢の室生犀星記念館で行われている「犀星スタイル 武藤良子原画展」は、2020年3月まで続きます。展示会場で配布されている出品目録に、「勝手口から」という短い文章を寄せました。ぜひお持ち帰りください。展示グッズ、絵葉書も、1階の売店で販売中です。ご来場おまちしております。

室生犀星記念館

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「犀星スタイル」グッズ販売はじまりました

金沢・室生犀星記念館のサイトで「犀星スタイル」グッズの販売がはじまりました。

サイトの雑貨の頁で、室生家で食べられていた金沢式玉子焼きのトートバッグとサコッシュ、版画家の畦地梅太郎さんの文字を装画に使った『われはうたへどもやぶれかぶれ』サコッシュ、を販売しています。文字も絵もシルクスクリーンで刷られています。シルクスクリーンは秋田の6jumbopinsさんに刷っていただきました。

絵葉書の頁では、原画展「犀星スタイル」の中から5点を選び葉書にし、販売しています。

記念館でも買えますが、通販もできます。購入方法の頁をご覧ください。

ミュージアムショップ | 室生犀星記念館

 

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