断片日記

断片と告知

『放送作家の時間』と『君恋し』

放送作家の時間』(大倉徹也著 イーストプレス刊)の装画を描かせていただきました。永六輔さんと出会い、まだ放送作家ということばがなかった時代に、ラジオ、テレビ、舞台の世界に飛び込んで行った大倉徹也さんの、極私的放送史です。

目次を見るだけで、手に取りたくなる1冊です。

 【目次】
●オープニング
●六・八・九の話
永六輔さんと私
中村八大さんと私
坂本九と私
●グループの人たちの話
見上げてごらん夜の星を』と私
8時だヨ!全員集合』と私
『ステージ101』と私
●テレビと女優の話
黒柳徹子と私
杉村春子と私
二人の高峰さんと私
●アイドルたちの話
『歌え!ヤンヤン!!』と私
キャンディーズと私
中三トリオと私
●歌う映画俳優の話
加山雄三と私
石原裕次郎と私
小林旭鶴田浩二と私
勝新太郎と私
●ドキュメンタリーの話
夫婦船と私
ナガサキと私
入江侍従長と私
●無念残念な話
サザエさん』と私
歌川広重と私
『スーパースター8★逃げろ!』と私
●視聴率・聴取率と関係ない話
『民放ラジオ30周年記念特別番組』と私
『NHKニューイヤーオペラコンサート』と私
初代・林家三平と私
●「芸能人」ではない人たちの話
松本清張氏と私
阿久悠氏と私
船村徹氏と私
●特に記しておきたい三人の女性歌手の話
雪村いづみと私
美空ひばりと私
都はるみと私
●影響を受けた俳優の話
小沢昭一と私
森光子と私
森繁久彌と私
●『放送の休日』の話
『わが心の愛唱歌大全集』と私
●エンディング

書籍詳細 - 放送作家の時間|イースト・プレス

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君恋し ハナの咲かなかった男』(劇団昴)のチラシを描かせていただきました。絵の真ん中の男は、エノケンと同じ時代に浅草オペラで活躍した二村定一。物語は、戦後、千葉の古びた芝居小屋からはじまります。あの時代の実在の人物を交えながら、ハナの咲かなかった男、二村定一の晩年が描かれています。

公演は9月19日から26日まで。前売り券発売中です。

劇団昴公式ホームページ

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おっぱいらー

夕方には東京を出たが、早々に渋滞につかまり、山のホテルに着いたのは夜9時半を過ぎていた。門限は11時ですと言われ、慌てて部屋に荷物を放り込み、来る途中に見かけた一番近いラーメン屋まで歩いていく。降るような星の下、ホテルの自販機で買った缶ビール500mlを飲みながら、知人は門限が早すぎると文句を言い、山の下まで長い長い坂をおりていく。

生ビール2杯とレモンサワー1杯。餃子、モツ焼き、チョレギサラダ、しめに味噌ラーメンをかっこむ。来た道を戻ってまた山の上のホテルへ戻る。大浴場は12時までで、大きな内風呂と露天風呂のふたつある。露天の外はまっくらで、星の下で向かいの山の形がぽっかり黒く抜けて見える。

翌朝、ホテルの朝飯の後にまた風呂に行く。昨夜と違って今度は露天の外がよく見える。露天のすぐ下には人工の大きな池があり、海のないこの県で、この町の名に「うみ」を足した名前がつけられている。向かいの山裾には家々が並んでいるのがよく見える。こちらからよく見えるのだから、あちらからもよく見えるに違いない。

露天風呂の水面にはホコリと死んだ羽虫が漂い光っている。ホコリと羽虫をかき分けて、誰もいない露天風呂ですぃーと泳ぐ。漂ってきた大きな虫を湯ごとすくって、露天の脇の草地に放る。何度も何度も草地に放る。地獄にこういう役割の婆がいなかったか、乳を垂らしながらきりがない。

今度の山への旅は、この町の小さな公園で行われる、彫刻の除幕式に呼ばれたからだ。知人の父親は彫刻家で、この町の生まれで、いま東京の病院にいる父親にかわって、知人が代理で式に呼ばれた。

小さな丘の天辺を平らにならしたような公園の端に、白い布をかぶった彫刻が置かれている。布から紅白の紐が二本出ていて、彫刻の右手と左手に並んだ人たちの手に渡る。短い挨拶のあと、紐が引かれて布が落ちる。サーカスの女、玉乗りしている女の像だ。

公園の端の木陰にビニールシートが敷かれ、宴席がはじまる。仕出し屋から届いた、刺身の盛り合わせ、巻き寿司、サンドイッチ、瓶ビールが長机にずらーっと並ぶ。飲め食べろと言いながら、田舎料理だろ、とこちらを見る。

彫刻の建つ小さな公園は町営で、今日ここに集まった有志の手で管理されている。元々、不動産屋が買取って建売住宅になるところを、止めていまの形に残したことを、繰り返し繰り返し話して聞かせる。みんなでローラーを引いて平らにし、ベンチや遊具を置き、草木を植えたり抜いたりしている。時々、男たちが公園の隅に行き、植えた草木に向ってしょんべんしている。

こないだ熊が出てよ。俺は殺すなって言ったんだよ。なのに殺しちまいやがって。麻酔銃で撃って山にはなしゃあいいら。かわいそうによ。あっちの山は海底隆起で出来た山でよ、こっちの山は火山で出来た山でよ、あっちの山にしか熊はいねーんら。なんでかわかんねーけどよ。

この町の人たちはことばの最後にたびたび「ら」をつける。

あんたどこの人ら?東京の人じゃねーだろ。いえ東京の、池袋のそばの雑司ヶ谷ってとこで。嘘らー。栃木か茨城らー。

翌日は諏訪湖に寄っていく。諏訪湖に浮かぶ亀の形の遊覧船は竜宮丸で、今年の12月で営業を終える。44年間ありがとう、の垂れ幕が桟橋にかかる。

諏訪湖の周りにいくつかある共同浴場のうちのひとつ、大和温泉へ行く。共同浴場が三軒並んだ一番奥に、入り口も目立たず、細い路地の隙間を抜けていくとある。手前の二軒は組合員しか入れませんと張り紙がある。

路地を行くと小さな広場に男が立っている。お金はそっち、女湯はそっち、と口数少なく眼で示す。入湯料300円を皿に置く。右手が女湯。引き戸を開けると靴脱場があり、さらに引き戸を開けると脱衣所がある。ロッカー形式だが鍵はない。

洗い場は、左手の男湯との壁に添って、手前にステンレスの小さな水槽がふたつ、ひとつは水、ひとつは熱湯、がはられ、細長い湯船も男湯の壁にくっついてある。湯はなんとなく緑色でふんわり硫黄の匂いがする。壁にカランがひとつもない。水槽にはってある水と熱湯を割って、汗まみれの体をじゃぶじゃぶ洗う。

静かだった浴場に、金髪の女の子が4人、どどっとなだれ込んでくる。あ、そのお湯あちーよ、そっちのは水だよ、と先輩ヅラして話しかける。ほんとだあついー、と言いながら、じゃぶじゃぶ洗って湯船に飛び込んでくる。

男湯からも、あちー、あちーよ、と同じような高い声が聞こえる。なんか透けてなーい。金髪のひとりがいたずらっぽい声をあげる。男湯との境の壁は、胸の高さから上はガラスブロックで出来ている。

ねぇねぇ、まみちゃんがおっぱいくっつけてるよー。

男湯に向かって叫びながら、4人がいっせいに手の平をガラスブロックに押し付けた。

市場と銭湯、トーク公開。

5月に往来堂書店で行われた「市場と銭湯」トークショーの全文が公開されました。一部加筆訂正されています。

話はとぶし、戻るし、文句も言ってるし、だいたいいつもこんな感じで、終りのない話をつまみに橋本くんと飲んでいます。

市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々 | WEB本の雑誌

 

棒にふる

7月から8月半ばまで、ずっと仕事の絵を描いていた。アトリエとして使っている部屋は三階建てのビルの上にちょこんと建てられたサンルームで、眺めがいいかわりに陽がそのまま差し込んでくる。クーラーもない。指先でオイルパステルが溶け、ときどき汗が紙に落ちる。こんな時期にオリンピックをやるなんて。あちこちから聞こえた声は、来年の死者を待ち望んでいるようだった。

ラフが描けないので、いつも多めに絵を描いて送る。次はいまより面白い絵になるんじゃないか、そう思いながら、ぐずぐずぐずぐず指を動かす。割にあわないことをしている。「功利の世に生まれて来て、そこに生きる術をしらず」。送られてきた入谷コピー文庫「私のワンコイン文庫」のなかで、田中清行さんが引用していた一節だ。「一生を棒にふる」読んでいるとわたしより不器用な顔を思い出す。

たまの店番のアルバイトをしていると、携帯電話が鳴る。見ると知らない番号からで、出ると新刊書店で働いていたときの同僚だった。久しぶり、元気だった?彼の声を聞くのは10年ぶりくらいだろうか。浮かれるわたしの声をさえぎるように、いい話じゃないんだけどな、と続いたことばは、同じころ一緒に働いていたKの訃報だった。

店番のアルバイトを終えて、今度は古本屋の買取りを手伝う。客の家に向かう車のなかで、たったいまの訃報を古本屋の店主にこぼす。

大きな新刊書店だったから、ときどき版元や取次のぼんぼんが研修に来て働いててさ。Kもそのひとり、小さな版元の跡取りだった。ひとつかふたつか年上だったから、Kにーさん、って呼んでた。

Kにーさん、版元に戻ったあともよく本屋に顔出してくれて。やぁやぁどうも、って必ず手を振りながら現れて。役者の小泉孝太郎に似て、わりとイケメンだった。

みんなで一人暮らしの経堂のマンションに押しかけて、せり出していた1階の屋根の上を酔っ払って駆け回って。次の日、マンションの管理人に怒られたっけ。

 最後に会ったのはいつだったか。電話してきた彼の結婚式か。同僚のヨシカズが号泣して、なんでお前が泣いてんだよって、みんなで笑った。

本屋で働いていたときも版元に戻ったあとも、ときどき朝から酒臭かった。手が震えていたのを見ないふりした。

40代になって、友人が3人死んだ。ふたりは酒に、ひとりはスピリチュアルにはまって沈んでいった。沈む先が違えばまた浮かんでこられたかもしれないが、酒もスピリチュアルも、弱った人間をつかまえるのがうまかった。

もう葬式も納骨もすませたって、土の中じゃなくて、ほら今どきのなんていうの、室内のお墓。電話の彼に墓の場所を聞くと、早稲田の寺だと教えてくれた。

ぽかんと空いたある日、教えてくれた寺まで歩いていった。早稲田のブックオフのすぐそば、コンクリートを上へ上へと伸ばしたような大きな寺だった。入ると祭壇に金色の仏像が置かれていた。墓がどこかもわからなかったので、その金色をしばらく見つめた。申し訳なさそうな顔を見せながら、葬儀屋の男が音をたてて椅子を運んでいく。Kにーさんの下の名前はなんだっけ。どうでもいいことはいくらでもこぼれていくのに、肝心なことが思い出せない。

ヨシカズは地元に戻って古本屋をはじめたよ。前からやりたいって言ってたじゃん。そうだっけ?やっぱり思い出せない。調べた住所を地図で見ると、行く気がなくなるほど遠かった。

誰も知らない

廃業すると教えてもらった銭湯へ行く。山手線で秋葉原まで、総武線に乗り換えて小岩でおりる。駅前や道の先に見覚えがある。ここは、ブックカフェをやっていた友人と、開業前に打ち合せと言いながら飲み歩いた町のひとつだ。駅前からあの路地を入った先の二階で飲んだ。酒の強い人だった。ブックカフェはすぐにつぶれて、友人も数年前に肺がんで亡くなった。

見覚えのある路地に引きづられて道に迷った。総武線の高架下を抜け、路地をいくつか曲がると、白くて四角い煙突が見えた。煙突のある白くて大きな建物は、1階の路面に飲み屋やカラオケ屋が並んでいる。上はマンションのようで洗濯ものが干されたベランダが見える。建物の中ほどに、「健遊館 大黒湯」と書かれた大きな看板がかかり、その下に開いた広い通路を抜けると中ほど左手に銭湯「大黒湯」の入り口がある。「大黒湯」の向かいはスナックで、カラオケの音が通路に大きく漏れ響いている。

牛乳石鹸ののれんをくぐる。正面が古い傘入れ、両脇が下足箱。女湯は右手。脱衣所の入り口引き戸に、「本日営業最終日 感謝の気持ちを込めて入浴料無料 ご愛浴いただきありがとうございました 大黒湯」の紙が貼られている。

引き戸を開けると左手に番台。いらっしゃい、の声とともに、今日は無料でどうぞ、の声が続く。

ナンダロウさんとのトークショーで、廃業すると知ってから訪ねるのは下品だよ、だからといって行かなければ一生見られなくなるし、と話題に出たが、ずっとどうしていいのかわからない。入浴料が無料ならなおさらだ。常連らしき老女たちがひっきりなしにやってくる。今日はタダよー、えー悪いわよー、いいのいいの、の声を背中に浴びながら服を脱ぐ。

こじんまりした脱衣所は、左手に鏡と体重計、右手にロッカー、ロッカーの前に置かれたハイテクマッサージチェア、真ん中にローテーブルと椅子がぱらぱら。マッサージチェアはかなり大きく、着替える老女たちに邪魔にされ、背もたれをくるりくるりと回されている。

洗い場に入る。右手と左手の壁に立ちシャワーが一台ずつ。島カランが真ん中に一列と左右の壁沿いにもカラン。左手と島には固定式のシャワー、右手のカランだけホース付きのシャワーが並ぶ。湯船は正面奥の壁に右から、普通、座ジェット、深め、の三つ。三つとも茶色の薬湯で、真ん中の座ジェットのある湯船にだけ、茶葉のようなものがたっぷり入った袋状のものが浮いている。湯船の温度計は44度と熱めの表示だが、入ってみるとそうでもない。湯船の上の壁には、小さなタイルのモザイク画で、遠くに雪をかぶった青い山並みと、手前にヨットが浮かぶ湖、右手に欧風の大きな城が描かれている。天井と壁は真っ白、湯船のタイルは青系だ。

 洗い場で体を拭いてから、脱衣所に出る。風呂上がりはいつも体重計に乗る。ここ数年は50キロ台後半をうろうろしている。次の健康診断までにあと2〜3キロ落としたいと思いながら、日々の安い酒とつまみをやめられない。

脱衣所のテーブル周りの椅子に腰掛け、湯上がりの老女たちがおしゃべりしている。

ここも今日でおしまい。

あなたとはまた会うわね。

だって近所じゃない。

長いことお世話になったわねぇ。

ありがとね。

その間も番台から、今日は無料だから、いいのよぉ、の声が響く。

みんなお互いの顔を見ている。

この場所で、のれんや、かわいらしいタイル絵や、青い湯船や、高くて白い天井や、大きすぎるマッサージチェアや、缶ビールの売っていない小さな冷蔵庫を、きょろきょろ見ているのはわたしだけだ。ここにいる誰の顔も知らないわたしだけだった。

 

大黒湯:江戸川区南小岩6-29-15

2019年6月29日廃業

酸っぱい

食堂の端っこには食べ終わった食器をさげる場所、返却口がある。

返却口の手前には水の流れる溝がある。ここに食べ残しを落とす。溝の奥には水の溜まった大きな水槽がある。ここに食器を落とす。食器は洗われ翌日も使われる。

溝に落とされた食べ残しは水で流され一ヶ所に溜まる。溜まった食べ残しは二重のゴミ袋に入れられ、ポリバケツに入れられ、ゴミ置き場に捨てられる。

ときどき友人たちと飯に行く。友人たちが食べ残したものもわたしは平気で食べられる。食べ残しはまだゴミじゃない。

皿にのっていた食べ残しは、どこでゴミにかわるんだろう。 

必要とされなくなったら。

でも誰かが必要としなくなっても、他の誰かが必要ならまだゴミじゃない。

それなら、この世にゴミなんかない。

でもゴミとして捨てられるものもある。

それは捨てる側がゴミだと思うから。

あいかわらず近くの大学の食堂でアルバイトをしている。食堂に入る業者がかわり、残るか他の大学に行くか悩んだが、近さを選びそのまま残ることにした。

返却口の掃除をして、溜まった生ゴミ素手で掻き出す。たいてい掃除の水や汁がとんで制服が濡れる。明日着る替えの制服の用意を忘れて、汁がとんだ制服をそのままロッカーにしまう。次の日、ロッカーをあけるとちょっと酸っぱい。開けたとたんの空気が酸っぱい。

市場の屋根

沖縄の那覇市、土産物屋が並ぶ国際通りを、ゆいレール牧志駅を背にしばらく歩くと、アーケードのある横道が左手に3本現れる。アーケードの入口にはそれぞれ、平和通り、むつみ橋通り、市場本通り、と看板がかかげられている。そのうちの市場本通りを土産物屋の軒先をのぞきながら歩いていくと、第一牧志公設市場にぶつかる。市場本通りは牧志公設市場にぶつかると市場中央通りと名前を変えて、浮島通りまで続いていく。

浮島通りを越えると、また別のアーケード商店街、新天地市場本通りが現れる。市場中央通りよりだいぶ細く、土産物屋は消え、地元の人たち用の服屋、食堂が並び、サンライズなは商店街を越えると、太平通りとまた名前を変え、今度は惣菜屋や八百屋、雑貨屋が現れる。

太平通りの端にある総菜屋で天ぷらをいくつかと、小さな弁当か、ソーミンチャンプルーかを買って、市場中央通りの裏手にそってあるパラソル通りのテーブルで食べる。天ぷらひとつ50円、ソーミンチャンプルー100円、弁当は小さめのもので200円、ととても安い。お昼は何を食べたんですか、と宇田さんに訊かれ、宇田さんの天ぷら屋で買ってパラソル通りで食べたよ、と話すと、わたしの天ぷら屋じゃないですけどね、と宇田さんが言う。

2月に市場の古本屋ウララで個展をした際、店主の宇田さんは文章を寄せてくれたが、そのうちのひとつ「天ぷら」という掌編は、総菜屋で買った天ぷらとソーミンチャンプルーを、ウララの帳場で昼飯として食べる話だ。「天ぷら」を読んでから、昼ごろ小腹が空くと宇田さんの天ぷら屋に足が向く。天ぷらが並ぶショーケースを見ながら、もずくとー、ゴーヤとー、と店先で伝えると、ビニール袋にぽいっと天ぷらを入れて渡される。手の中でほんのり温かい。

3本のアーケード街の真ん中のむつみ橋通りは、市場本通りと平和通りに比べて入り口はだいぶ狭いが、きちんとアーケードがかけられている。ドラッグストアや飲食店の軒先を過ぎると、パラソル通りと呼ばれるパラソルの下にテーブルと椅子が置かれた広場に出る。途中、判断金玉、と看板をかかげる占い屋の前を過ぎると、もうひとつのパラソル通りが現われる。どちらの通りもアーケードはなく、両脇には服屋が多い。パラソルの下の椅子に腰掛けて空を見ながら天ぷらをかじる。国際通りを背にしてパラソル通りの左手に建つ、衣料部のビルの入り口には透明のビニールカーテンがひかれ、風が吹きカーテンが揺れるたび、ビルの中のクーラーでよく冷された空気が、天ぷらをかじるわたしの足元をさーっと撫でる。

パラソル通りをふたつ越えた突き当たりで、道は二手に分かれる。どちらの道も抜けられるのか不安になるほど細いが、ここからまたアーケードが復活して続く。右手の細い道を行くと、浮島通りへするっと出る。左手の道を行くと、うりずん横丁を越えたところでえびす通りと名前を変え、サンライズなはにぶつかって止まる。えびす通りのアーケードはとても古く、枠が木、ビニールのテントではなく塩ビのような半透明の板が貼られている。葉っぱの用な模様入りの板もある。もともと青く塗られていたのが日に焼けて茶色になったのか、昼間のえびす通りは青と茶色のまだらな光が道に落ちる。

3本目のアーケード、平和通りに入ると、こちらも土産物屋が両脇に並ぶ。しばらく行くと左手に桜坂へ抜けるのぼり坂がある。坂の入り口左手に、電柱の影に隠れるようにある小さなミシンの修理屋と、その横の路上にへばりつくようにあるお茶屋お茶屋の前を通るたびに、こんにちは、と音の台所さんが店先に声をかける。坂をのぼりきった右手に、映画館の入る桜坂劇場、左手に希望ヶ丘公園がある。坂の上の公園からはアーケード商店街の屋根屋根がよく見える。遠くの緑がこんもりしているあたりを指して、あの辺が七つ墓かも、と音の台所さんが言う。

桜坂の辺りで平和通りは二手に分れ、右手に行くとうりずん通りと名前を変えて、えびす通りと交差しながら浮島通りまで続く。左手に行くと道は大きく右手に折れてサンライズなはと名前を変えて続いていく。どの道も国際通りから離れれば離れるほど、地元の人用の店が増えていく。服屋のあるところには服屋が固まり、そのそばに服のお直し屋が固まり、総菜屋のあたりには総菜屋が固まる。

牧志公設市場の建物の周り、東西北の三方は道に面してアーケードがかかり、雨の日も国際通りから濡れずに市場まで行ける。残る南側も隣接する琉球銀行との隙間、幅1メートルあるかないかの、けもの道のような路地にも屋根がかかる。

牧志公設市場の南側、琉球銀行から浮島通りまでの入り組んだ路地も、アーケードだったり屋根だったりで覆われている。ときどきアーケードがぽかりと途切れて空が見える。大きな台風で飛ばされたあとだという。

牧志公設市場の1階中央にはのぼりのエスカレーターがひとつだけある。豚の顔が飾られた肉屋を見ながらエスカレーターで2階にあがると、食堂街になっている。飯屋と飯屋が壁らしい壁もなく隣接してぐるっと外壁にへばりついている。てきとーな飯屋に入ってチャンプルーをつまみにオリオンの生ビールを飲み、便所で尿意を落ち着かせてから端にある階段で1階におりる。公設市場の1階には道に面して十ヶ所以上の出入り口があり、ぼんやり出てしまうと、ここは東西南北どの面だったっけと、頭のなかのコンパスを急いで回す。わたしが一番よく使う便所のそばの階段をおりて、一番近い出入り口を抜けると、琉球銀行との隙間のけもの道のような路地に出る。この隙間を市場中央通りまで抜けたちょうど正面に、市場の古本屋ウララがある。

2019年6月16日の営業を最後に、第一牧志公設市場は建て替え工事に入り、市場にくっついて建てられていたアーケードも撤去される。2月の個展でウララを訪れたさい、市場界隈はぐるっと歩いたはずだが、変わる景色を前には歩き足りない気がして、6月の頭にもう一度沖縄を訪れた。

市場界隈の入り組んだ路地をすべて歩きたい。いい地図はないかと宇田さんに訊ねると、すすめてくれたのが冊子『みーきゅるきゅる』vol.6 (特集 牧志公設市場 衣料部・雑貨部)だった。真ん中の見開きページに「あまんくまんお散歩MAP」と題して、市場界隈の手描きの地図が載っている。地図のページを広げ、鉛筆で道を塗りつぶしながら、市場界隈を歩き回った。どの道とどの道が繋がっているか、アーケードがあるか、屋根があるか、塗りつぶしていくとよくわかる。 

6月頭の沖縄はすでに梅雨で、滞在中、一日のどこかで必ず雨が降っていた。東京の梅雨が軽く思えるほど、沖縄の暑さと湿気はだいぶ重い。格安航空券で、少しでも滞在時間を長くしたいと欲張った結果、羽田発6時半、那覇着9時半の便になった。那覇空港から出たとたん、沖縄の湿気が寝不足の体にずんときた。ずんときたまま国際通りを歩き、アーケードのある市場本通りに入ったとたん、ずんがすーっと抜けていった。

アーケードで陽射しも雨もよけられ、両脇に並ぶ店は扉もなく開け放たれ、店の中からクーラーの風が道全体にほどよく流れ込んでくる。濡れずに第一牧志公設市場まで歩き、2階の食堂街でオリオンの生をぐぴっーと飲んて一息ついた。

市場の建て替え工事とともにウララの前のアーケードもなくなると聞いたとき、雨と台風が多く、陽射しの強い沖縄での商売の大変さを思ったが、梅雨の時期に来てみれば、アーケードの恩恵を受けているのは、わたしのような観光客、歩行者も、だった。

市場界隈の店はほぼすべて、店の軒先を越えて路上まで、商品が出され並べられている。派手な柄の南国チックな服も、変わった形の野菜も、色とりどりの魚や乾物も、東京ではまず見られない光景だ。道に溢れたここでしか見られないモノと色は、この町に観光客を呼ぶ大きな要素だ。どんな日にも安心してモノが出せるのもアーケードのおかげ、どんな日にも気軽に歩き回れるのもアーケードのおかげだが、こうした光景も、6月16日を最後に少しずつなくなっていく。

滞在中に読んでいた本がもう1冊ある。第一牧志公設市場と周辺の店の成り立ちを取り上げた、橋本倫史くんの『市場界隈』(本の雑誌社)だ。来る前に三分の二ほど読み、滞在中に終わりまで読んだ。『市場界隈』のなかで取り上げられている店の前を通ると、ここが、と足が止まった。読んだあと、それぞれの店の物語を知った後に町を歩くと、読む前とは町が違って見えた。

ウララの軒先でおしゃべりしていると、一人の男が『市場界隈』をすっと手に取り、ください、と言った。それ友人が書いた本なんですよ。つい声をかけた。よく行く店のおばちゃんがこの表紙だからさ。これからサインもらいに行くんだ。そう言って男は市場の中に消えていった。

男はすぐに戻ってきた。もらったサインを見せながら言う。表紙のおばちゃんがね、この本には大事なことが書かれているって、大事な本だよって。

 先日、音の台所さんが東京で朗読会をした。朗読に選んだ文章は、宇田さんの本から、ウララの帳場から眺めた日々を書いた掌編がほとんどだったが、『市場界隈』の中から一編だけ「大和屋パン」が読まれた。大和屋パンは、牧志公設市場の南側の路地の中、かりゆし通りに面してある小さなパン屋だ。ここでパンを焼いているわけではなく、仕入れたパンを路上に並べて売っている。音の台所さんがウララでの店番中、ここで買ったパンを食べる。よく買うのは、マリリンと、あとひとつ蓬莱だったか、生クリームの入ってないやつで、パンの名前まで東京とはずいぶん違う。

宇田さんがね『市場界隈』が出た後パンを買いに行ったんだって。恥ずかしくてしばらく読めなかったって。でも思い切って読んでみたらすごくよかった。同じ市場のよく顔を知った人たちが、こんな苦労をしていたのかとはじめて知った、と、驚いてたって。

「大和屋パン」にはこう書かれている。

「いつも買いに来てくれる方には『いつもありがとう』と手を握ってお釣りを渡すときもある。感謝しているから、自然にそうなるわけ。」

わたしはまだ、手を握ってお釣りをもらったことはないんだけど。音の台所さんが小さく笑う。

 市場中央通りのアーケードのうち、撤去されるのは市場にくっついて建てられた50メートル分。そのちょうど50メートルの境目に、市場の古本屋ウララがある。見上げると看板の真ん中に、撤去されるアーケードと、残るアーケードの境目がある。どうりで、市場と琉球銀行の隙間を抜けるとウララの前に出るはずだ。よく見ると看板に大きく描かれた「市場の古本屋ウララ」の「場」の字も間違っている。

宇田さんは、半分になった屋根の下、ここで市場を見つめるという。